source : 2013.01.16 zakzak (ボタンクリックで引用記事が開閉)
多くの読者にとって信じ難いのではないかと思うが、1990年のバブル崩壊以降、日本政府が「正しいデフレ対策」を実施したことは一度もない。正しいデフレ対策とは「通貨を発行し、借りて、使え」である。
より具体的に書くと、金融政策(日本銀行の国債買い取り=通貨発行)と財政政策(政府の国債発行と公共投資拡大、減税など)のパッケージである。金融政策と財政政策は、まさにデフレ対策という飛行機の両翼であり、どちらかが欠けてもいけない。
これまでの日本政府は、金融政策のみ(小泉政権など)、あるいは財政政策のみ(麻生政権など)のデフレ対策を実施してきたが、片翼だけではダメなのだ。金融政策と財政政策はあくまで「同時に」実施しなければ、日本経済はデフレという泥沼から離陸できない。
安倍晋三首相が進めるアベノミクスは「2%のインフレ目標」「インフレ目標を達成するまでの日銀の無制限の金融緩和」「復興・防災を中心とした公共投資拡大(財源は国債)」「設備投資や雇用に対する減税(同)」など、正しいデフレ対策の定義を満たす政策を打ち出している。
インフレ率の目標を達成するまで、中央銀行が通貨を発行し(=国債買い取り)、政府がそれを借り入れ、「所得」「雇用」が生まれるように支出する。日本のような独自通貨国では、中央銀行は政府の子会社だ。日本銀行が国債を買い入れた場合(直接ではなく銀行経由で構わない)、政府の実質的な負債は増えない。
マスコミの多くは相変わらず「緊急経済対策で国の借金膨張」などと、政府と中央銀行の関係を無視した無知な破綻論をまき散らしている。彼らの「存在しない虚偽の財政問題」に影響を受け、十分な財政出動を実施しなかった場合、わが国がデフレから脱却する日は遠のく。
1月11日、安倍政権は中央政府の直接的な財政支出で約10兆3000億円、地方負担や民間支出を含む総事業費で20兆円超となる、大型の緊急経済対策をまとめた。特に、対策のほとんどが「国民の所得の創出」に注力が置かれている点を評価したい。
図の通り、他の主要国がリーマン・ショックやバブル崩壊の中にあっても、物価上昇率(CPIベース)を2%前後で維持している中、わが国は延々とデフレ状況が続いている。デフレが進めば、円高も進行し、国民の所得や雇用が失われてしまう。「まずはデフレ脱却」と安倍政権は繰り返し訴えているが、正しい姿勢だ。
問題は、果たして「正しいデフレ対策」のみを続けることが可能か否かである。
source : 2013.01.17 zakzak (ボタンクリックで引用記事が開閉)
前回、アベノミクスの問題は「正しいデフレ対策」のみを続けることが可能か否かである、と書いた。安倍晋三政権の「正しいデフレ対策」を否定し、世論誘導を図ろうとする政治家や学者、官僚、評論家たちは、主に以下の2つのグループに分かれる。
すなわち、アベノミクスそのものを貶めようとする人々と、アベノミクスにかこつけて「構造改革」なるデフレ促進策を推進しようとする人々だ。
まずはアベノミクスそのものを否定する人々に焦点を当てたい。彼らはとにかく「印象論」「抽象論」を並べ立て、政策のイメージを落とそうとしてくる。代表的な彼らの主張が、「アベノミクスは財政ファイナンスであり、中央銀行の独立性を損なう」である。
改めて考えてほしいのだが、「財政ファイナンスの定義」は何だろう。あるいは「中央銀行の独立」の正しい意味は何なのか。スラスラと説明できる国民は間違いなく少数派だろう。結果的に、国民は「定義が良く分からないが、何となく悪そう」なフレーズに引きずられ、「アベノミクスは、もしかして悪い政策なのでは?」と、間違ったイメージを刷り込まれることになるのである。
中央銀行の独立とは「中央銀行が目標を達成するために、取り得る金融政策の手段の独立」が正しい定義になる。国民の選挙で選ばれたわけでもない中央銀行が、経済政策の根幹であるインフレ率の目標を勝手に(=独立して)決めてよいはずがない。
現在の日本銀行は1998年の日銀法改正以降、金融政策の手段のみならず、目標(=インフレ目標)までも独立して決定している。日銀の独立はもともとの定義からしても「間違った独立」なのである。
にも関わらず、安倍政権が「インフレ目標は政府が決める。日銀は独立した手段でもって目標を達成する」という定義的に正しいスタイルに改めようとすると、「中央銀行の独立が阻害される」などと叫んでくるわけである。
そもそも、アベノミクスの批判者たちは中央銀行の独立について「神聖にして侵すべからずもの」か何かの如くあがめたてているが、非常に滑稽だ。何しろ、中央銀行の独立とは「インフレ対策」として生まれたソリューション(=解決法)なのである。中央銀行の独立性を高め、むやみな通貨発行(国債買い入れ)を抑制し、インフレ率を押し下げようという発想なのだ。
当然、デフレ期には中央銀行の独立性は、むしろ弱めなければならない。さもなければ、まさに現在の日本がそうだが、デフレという問題がいつまでたっても解決しない事態に陥る。「中央銀行の独立ガーッ」などと安倍政権を批判している人々は、頭の中がいまだにインフレ期のままなのだ。
source : 2013.01.18 zakzak (ボタンクリックで引用記事が開閉)
そもそも、「中央銀行の独立」とは、物価上昇率を抑制するインフレ対策として世界に広まったソリューション(=解決策)である。「財政ファイナンスは禁じ手」も同じだ。財政ファイナンスが禁じ手とされるのは、インフレ率が上がってしまうためである。
何しろ、政府が国債発行で資金を調達し、発行された国債を中央銀行が買い取ると、実質的な「政府の負債」は増えない。独自通貨国の中央銀行は政府の子会社であり、会計ルールで「親会社-子会社」間のお金の貸し借りや利払いは連結決算で相殺されてしまうためだ。
IMF(国際通貨基金)は、独自通貨国の中央銀行が保有している国債について「デフォルト(債務不履行)リスクはゼロ」としている。親会社(政府)が、子会社(中央銀行)からおカネを借りているだけである以上、当然だ。
さて、日本の場合は日本国債を日本銀行が買い取ると、政府に負債の返済、利払いの負担が生じない。現在、日本銀行は発行済み日本国債の約9%を保有している。少なくとも9%分の国債については、政府は負債や利払いをする必要はない。100年後、1000年後、1万年後まで放っておけばいいのだ。
というわけで、アベノミクスの肝である「日本銀行の国債買い入れ(金融政策)」と「政府の国債発行と財政出動(財政政策)」というポリシーミックスは、日本政府に「負債の負担」が生じない。
唯一の代償は、もちろんインフレ率の上昇であるが、そもそも、「インフレ率を健全な水準に引き上げる」ためにこそ、金融政策と財政政策をパッケージで行うわけである。財政ファイナンス(政府の支出の財源を、中央銀行が通貨発行で賄う)といえば確かにその通りだが、「だから、何?」である。
何しろ、財政ファイナンスが禁じ手なのは、インフレ率を上昇させてしまうためなのだ。インフレ率を上昇させることが目的になるデフレ期には、財政ファイナンスは禁じ手でも何でもない。
日本以外の世界の国々は、とっくに財政ファイナンスに手を染めている。中央銀行の通貨発行額ともいえるマネタリーベースは、アメリカがリーマン・ショック後に3倍超、ユーロ圏がギリシャ危機深刻化後に2倍超に拡大している。
ところが、日本はようやく1・5倍だ。これでは円高が進行して当たり前であるし、日本国内のデフレが終わらなかった以上、日銀の通貨発行が不十分だったことは明らかだ。インフレではなくデフレに悩む日本にとって、財政ファイナンスは「禁じ手」ではなく「必須策」なのである。
source : 2013.01.20 zakzak (ボタンクリックで引用記事が開閉)
ノーベル経済学賞受賞者である米プリンストン大学のポール・クルーグマン教授が14日付のニューヨーク・タイムズ紙に寄稿したコラムで、アベノミクスを絶賛していた。クルーグマン教授がアベノミクスを評価しているのは、本政策が「金融政策と財政政策のパッケージ」になっているためだ。
主流派である新古典派経済学者たちは、政府の財政出動による所得、雇用の創出を否定しようとする。政府が雇用を創らず、どのように失業率を下げるのかといえば、「金融緩和を続ければ、いずれはインフレ率がプラス化し、雇用が改善する」という。いわば「金融万能説」である。
別に、筆者は「金融緩和を続ければ、いずれはインフレになる」が間違っていると言いたいわけではない。とはいえ、日本銀行が通貨発行(=国債買い取り)という金融緩和を続けたとしても、インフレ率がプラスに転じるまでは、複数の越えなければならないハードルがあるのも確かだ。
まずは、銀行側が金利のつく国債を手放し、日本銀行に売ってくれるか否かである。昨年の日本では「民間銀行が日銀に国債を売らない『札割れ』」という、大変珍し現象が発生していた。
さらに、民間銀行が国債を日銀に売却し、日本円という通貨(日銀預け金)を得たとして、それが民間に貸し出されるかどうかである。日銀がどれだけ金融緩和しても、新たに発行された日本円が民間に借り入れられなければ、物価には何の影響も与えない。
さらに、日本銀行が民間銀行に供給した日本円が民間に借りられても、物価が上がらないケースもある。例えば、民間銀行から借りられた日本円が土地の購入に向かうと、「物価」には何の影響も与えない。FXや先物取引など、金融商品に日本円が向かった場合も同様だ。
日銀が発行した日本円が、モノの生産やサービスの供給を増やすように使われなければ、インフレ率はプラス化せず、雇用は改善しないのである。昨今の日本では、銀行からの貸し出しが増え、マネーストックが拡大してさえ、コアコアCPI(食糧、エネルギーを除いた消費者物価指数)は下落を続けていた。
結局のところ、少なくとも当初の段階では、政府は日銀が発行した日本円を自ら借り入れ(国債発行)、国内で所得や雇用を生み出すように使わなければならないのだ。すなわち、財政出動である。
アベノミクスは金融万能論の罠にはまっておらず、中央銀行が発行した通貨の「使われ方」にまで踏み込んでいる。だからこそ、クルーグマン教授が「完璧に正しい」と絶賛しているわけである。
source : 2013.01.21 zakzak (ボタンクリックで引用記事が開閉)
アベノミクスは「金融政策」と「財政政策」、それに「成長戦略」の3つのポリシーミックス(=政策目標を達成するため、複数の政策を組み合わせること)で成り立っている。筆者が個人的に最も懸念を抱いているのは、これまで触れずにいた「成長戦略」である。
「成長戦略」にかこつけて、日本のデフレを「促進」する規制緩和、自由化、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)などを推進しようとする人たちがいるので、注意が必要だ。もちろん、竹中平蔵氏に代表される「構造改革主義者」たちである。
そもそも、構造改革とは、政府の規制(というより『法律』)を緩和、撤廃し、競争を激化させることで「潜在GDP」の成長を目指す政策だ。潜在GDPとは、日本経済の工場や店舗、施設、設備、さらに人材などのリソース(資源)が100%稼働した場合に生産可能なGDPのことである。「日本経済の供給能力を高めましょう」という話であり、一見、構造改革論者たちの言説は正しいように思える。
とはいえ、現在の日本はデフレだ。潜在GDPが足りないのではなく、「需要」が不足しているのである。需要とは、ズバリ「名目GDP」で示される。潜在GDPが名目GDPに対し過剰となり、デフレギャップが発生しているからこそ、わが国はデフレに苦しんでいるわけだ。この日本が、潜在GDPを高める構造改革を強行し、物価を押し下げ(間違いなく下がる)一体、何をしたいというのか。
例えば、わが国が現在とは逆にインフレギャップを抱え、物価上昇で苦しめられているならば、まだしも理解できる。構造改革はインフレギャップを埋め、物価を抑制してくれる。だが、現実の日本はデフレだ。デフレで国民が困窮にあえいでいるにも関わらず、竹中氏を始め、構造改革を推し進めようとする人があとを絶たない。そして、彼らの一部が安倍政権の各種委員会に潜り込んでいる。
彼らの圧力に負け、安倍政権が電力自由化に代表される各種の規制緩和や、究極の自由貿易であるTPP参加を決断してしまうと、国内物価に抑制圧力がかかり、せっかくのデフレ対策が無効化されてしまう。いわば、アクセルを踏み込みながら、同時にブレーキを踏むようなものなのだ。
安倍政権は、いや「日本国民」は、まずはアベノミクスを否定する連中と戦わなければならない。同時に、アベノミクスを肯定する姿勢を見せつつ、どさくさで構造改革を推進する連中をも相手にしなければならないのだ。
わが国の宿痾(しゅくあ)とも言うべきデフレから脱却するためにも、構造改革路線を何としても阻止しなければならない。
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